May 25, 2010

メリットの多い合宿免許

合宿免許は、定期的に通う普通の場合に比べて高額だと誤解している方も多いのではないでしょうか。驚いたことに、実際に合宿免許が安くなっています。また、時間的な余裕が​​ない方や、定期的に何度も通わなければならないことが面倒な感じの方は2週間程度と短期集中で得ることができるので便利です。技術講習を毎日受け取ることができるものと運転が早く上手くなるのも利点の一つです。
自動車免許をとるためには教習所に通い試験に合格する必要があります。これは、日本に住む人々の決定に芸能人といって免除されるわけではありません。日本には全国各地の教習所が多い、自分が通って容易に教習所での自動車に関する知識と運転技術を学ぶことができます。教習所の中には紙のドライバー講習を実施している教習所です。
 この4月から社会人となられるみなさん、おめでとうございます。厳しい就職戦を乗り越えてひと安心したのも束の間、晴れの門出の直前に未曾有の大震災が起こりました。会社によっては入社式を自粛するところもあります。本当に大変な時期のスタートとなりましたが、こういう時こそ、日本はみなさんの若い息吹を必要としています。きょうは餞(はなむけ)として、次の3点をお話ししたいと思います。

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(1)仕事は「機会(チャンス)」に満ちている

(2)山(=働くこと)はデカくて、その楽しみ方にはいろいろある

(3)大きな生き方・生き様に触れよ

●その仕事は作業ですか? 稼業ですか? 使命ですか?

 みなさんは厳しい就職戦を乗り越え、晴れて仕事の舞台を得ることができました。新入社員研修を終えると、配属があり、そこからはいよいよ大切な仕事を任されることになります。そしてその仕事の成果でもって生計を立て、仕事の経験によってさまざまなことを学び成長していくことになります。社会人になるとは、言いかえれば仕事ともに人生を進めていくことでもあるのです。

 さて、職場に配属されればすぐに気付くでしょうが、私たちは日ごろ、「仕事」という言葉をよく使います。―――「この伝票処理の仕事を明日までに片付けておいてほしい」「営業という仕事の難しさはここにある」「課長の仕事はストレスがたまって大変だ」「彼が生涯にわたって成し遂げた仕事の数々は人びとの心を打つ」「そんな仕事はプロの仕事とは言えないよ」「あの仕事ができるのは、日本に10人といないだろう」……。

 「仕事」という言葉は、意味的に大きな広がりをもっています。仕事は短期・単発的にやるものから、長期・生涯をかけてやるものまで幅広い。また、自分が受け持つ大小さまざまの仕事に対し、動機の持ち具合もいろいろあります。例えば、やらされ感があったり、いたしかたなくやったりする仕事もあれば、自分の内面から情熱が湧き上がって自発的に行う仕事もあります。そうした要素を考えて、仕事の面積的な広がりを示すと次のような図になります。

●3人のレンガ積み

 ここで、訓話としてよく使われる「3人のレンガ積み」を紹介しましょう。

 ――――中世ヨーロッパのとある町。建設現場で働く3人の男がいた。そこを通りかかったある人が、彼らに「何をしているのか」と尋ねた。すると1番めの男は「レンガを積んでいる」と言った。次に2番めの男は「カネを稼いているのさ」と答えた。最後に3番めの男が答えて言うに、「町の大聖堂を作っているんだ!」と。

 1番めの男は、永遠に仕事を「作業」として単調に繰り返す生き方です。2番めの男は、仕事を「稼業」としてとらえる。彼の頭の中にあるのは常に「もっと割りのいい仕事はないか」でしょう。そして3番めの男は、仕事を「使命」として感じてやっています。彼の働く意識は、大聖堂建設のため町のためという大目的に向いていて、その答えたひと言に快活な精神の様子が表れています。

 日々月々やっていく仕事を、単なる繰り返しの「作業」ととらえるのか、給料をもらうためだけの「稼業」ととらえるのか、それとも夢や志といったものにつなげていくのか―――各人のこの意識の違いは目には見えませんが、5年、10年、20年経つと、はっきりと人生模様そして人間性として外見に表れる形で差がついてきます。コワイものですよ。

 どうかみなさんは、みずからの仕事を大きな目的・意義につなげる意識を持ち続けてください。そうすれば仕事というのは、生活の糧を稼ぐ「収入機会」であるばかりでなく、自分の可能性を開いてくれる「成長機会」となり、何かを成し遂げることによって味わう「感動機会」となり、さまざまな人と出会える「触発機会」となり、学校では教われないことを身につける「学習機会」となり、社会の役に立てる「貢献機会」となり、あわよくば一攫千金を手にすることもある「財成機会」となります。

 仕事は、実に機会(チャンス)にあふれているのです。このような機会の固まりを、お金(給料)をもらいながら得られるのですから、会社とはなんともありがたい場所ではありませんか。

 社会人の先輩の一部には、仕事がつまらなくなると「仕事は仕事、趣味は趣味」と割り切り、「趣味で人生楽しめばいいや」という人がいます。しかしこれは少し残念な姿勢です。趣味を楽しむことが悪いというのではありません(私も自分の趣味を大いに楽しんでいます)。仕事という大切な機会を十全に生かそうとしない姿勢が残念なのです。

 作家の村上龍さんは著書『無趣味のすすめ』でこう言っています―――「趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクを伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している」と。

 みなさんはもう社会人になった。これからは仕事があなたを成長させてくれるのです。「仕事とは人格の陶冶である」と心得てください。

●登山型のキャリア・トレック型のキャリア

 みなさんは今、新しい生活を前に期待と希望に胸がふくらんでいることでしょう。しかし実際のところ、入社後半年や1年も経てば、多くの人が多忙な業務処理に追われて、自分の方向が見えなくなってしまうのが現実です。

 そして改めて持ち上がってくるのが、「この会社でいったい自分は何がやりたいのか?」「この職業を通して何を目指したいのか?」という自問です。この問いは難問です。事実、職場の先輩社員や上司もこの難問に対する自身の答えを持っている人は少ないのです(試しに周りの先輩方に聞いてみてください)。

 もちろん、もし、あなたに一心不乱に没頭できる職業上の目標が確固とあって、そこに邁進していけるのであれば、それはとても幸せな働き人です。どんどん突き進んでください。しかし、そういった明確な目標やら目的がすぐに見出せなくても、めげる必要はまったくありません。そこで登山とトレッキングの例を出してお話ししましょう。

 山の楽しみ方には、登山というスタイルとトレッキングというスタイルがあります。キャリアにもこの2つのスタイルがあります。登山の場合、目的はただ1つ「登頂」であり、その結果を得るためにあらゆる努力をしていく。頂を目指す途中、道草はしない。

 他方、トレッキングの場合は、登頂のように唯一究極の目的があらかじめあるわけではない。山の中を回遊して、何か自分のお気に入りの場所を探すというそのプロセスが楽しみになり、それが目的となる。途中でたまたま見つけた滝や池が気に入れば、しばらくそこにたたずんでその居心地を楽しめばよい。周辺に目をやると、やがて山の奥深い細かなものがいろいろ見えてくる。トレッキングを続けていくうちに、次第に山のことが分かってきて、体力や技術がついたとき、その山の頂上に登ってみようとか、向こうに見えるあの山を登山してみようとかになってもいいわけです。

 逆に、登山をしていた人が、頂上から下りてきて、今度は山腹にある池や川に留まって、そこで山の雰囲気を満喫するということもありです。

 つまり、「登山型」のキャリアとは、特定の山の“登頂”という最大の目的(=クライマックス・ゴール)を持ってそれを脇目も振らず目指すキャリアです。そして「トレッキング型」のキャリアは、山の中を地図を片手に、自分の関心のあるがままに回遊する。そうするうち、いつか気が付くと自分に適する目的場所(=フィッティング・ゴール)を見出す。そしてそこに留まり、その場所を通して山の魅力をさらに味わうというキャリアです。

 一般的に多くの人のキャリアの流れは、まず、トレッキングで山の楽しみを得て、そのうち、登りたい山がみえてきて、登山に挑戦するといった順序でしょう。もちろん、生涯、トレッキングのみで終える人もいます。その一方、若いうちにすでに目指したい山があって、いきなり登山を志す人もいるでしょう。それは人それぞれでいいと思います。

 いずれにせよ山は「働くこと」の比喩です。山はその頂上にしても、そのすそ野の森にしても、実に懐の深い喜びや楽しみや甲斐を内包しているものです。それらをいかにうまく発掘できるか、それは各人の好奇心と行動力次第といえるでしょう。

●生き方・働き方は人からしか学べない――大きな生き方に触れよう

 突然ですが、1つ質問をします―――「あなたの尊敬する人は誰ですか?」。

 ……さて、みなさんは誰を挙げたでしょうか。日本人の場合、この質問に対する答えは決まっています。答えの第1位は、ダントツで「両親(父・母)」です。これは近年変わりがありません。ちなみに1位に遠く離された格好で、「先生」とか「兄弟」とか「イチロー」などが続きます。

 「なんだ、親子関係がギスギスしているような風潮で、安心できる結果じゃないか」と、一部の大人たちはうれしがっています。しかし、私はその逆です。多くの子ども・若者が判を押したように「尊敬する人は両親」と答えるのはあまり感心しませんし、その流れは変わった方がいいとさえ思っています。

 私は何も「親を尊敬するな」と言っているのではありません。もし、これが「あなたが一番感謝したい人は誰ですか?」―――「両親です」であるならば、これはもう諸手を挙げて感心したい。親というものは、尊敬の対象というより、感謝の対象の方がより自然な感じがするのは私だけでしょうか。

 少し厳しい言い方になりますが、今の日本の子どもや若者はあまりに多くの人を見ていませんし、多くの人の生き方に触れていません。ですから、「尊敬する人は?」という問いに対して、頭が回らず誰も彼もが「両親」と紋切りに答えてしまうのだろうと思います。

 私が大学生や若年社員向けの講義や研修で言うことは、「今一度、野口英世やヘレンケラーやガンジーなどの自伝や物語を読んでみなさい」です。もちろん、ここで言う野口英世やヘレンケラーなどは象徴的な人物を挙げているだけで、古今東西、第一級の人物、スケールの大きな生き方をした人間、その世界の開拓者・変革者なら誰でもいいわけです。そうした偉人たちについて、改めて読んでみると、そこには新しい発見、啓発、刺激、思索の素がたくさん詰まっているはずです。

 それら偉人たちの生き方・生き様に触れると、まず、自分の人生や思考がいかにちっぽけであるかに気が付きます。同時に、自分の恵まれた日常環境にありがたさの念が湧き、「こんな生ぬるい自分じゃいけないぞ」というエネルギーが起こってきます。そして、具体的に「ああ、こんな生き方をしてみたいな」という模範的存在(専門用語では「ロールモデル」と言います)が自分の中に立ち現われてきます。

 このロールモデルとの出会いが決定的に重要です。なぜなら、このロールモデルの生き方に刺激を受けて、その方向に行動を起こし、もがいていけば、だんだん道が見えてくるからです。そして同じような方向・同じような価値観で動いている人たちが周りに寄ってきて、彼らからもまた刺激を受けます。そうしてますます方向性と理想像がはっきりしてくる―――これが私の主張する「自分のやりたいこと・なりたいもの」が見えてくるプロセスです。

 もちろん、ロールモデルは身近な職場で見つかるかもしれません。「いや、うちの会社ではそのような人物が探せないよ」という場合でも、図書館に行けば、私たちは時空を超えてさまざまな人と出会うことができます。ですから、ぜひとも人との出会いには敏感に貪欲になってほしいと思います。ともかく、「何を、どう生きたか」というサンプルを多く見た人は、自分が「何を、どう生きるか」という発想が豊富に湧き、強い意志を持てるのです。

●50歳になったとき「自分は何によって憶えられたいか」

 いざ仕事を始めてみれば分かりますが、本当にビジネス現場の時間はせわしなく流れていきます。日々の業務をこなすことに追われていると、1年、3年、5年、10年があっという間に消えてしまうものです。そんななかで、私が重要だと思うのは、漫然と日々を過ごさないということです。そのためにお勧めしたいのが「30年の計」を立てることです。

 ピーター・ドラッカーの次の言葉を紹介しましょう―――

 「私が13歳のとき、宗教のすばらしい先生がいた。教室の中を歩きながら、『何によって憶えられたいかね』と聞いた。誰も答えられなかった。先生は笑いながらこういった。『今答えられるとは思わない。でも、50歳になっても答えられなければ、人生を無駄にしたことになるよ』」(『プロフェッショナルの条件』より)

 強く優れた組織は、必ずと言っていいほど、長期の理念やビジョンの下に進んでいます。個人のキャリア・人生についても同じことが言えます。「50歳までに何か自分の存在意義を残したい」というのはある種の理念であり、ビジョンです。

 変化の激しい時代ですから、20代、30代、40代は実にいろいろなことが起こるでしょう。成功もあれば失敗もある、順風も吹けば逆風も吹く、漂流や停滞する時期が幾度となく訪れる。若いころは悩みや迷いがつきものです。しかし、「50歳の時点で納得したキャリア・人生を送っているかどうかが本当の勝負だ」と腹をすえていれば、短期の波風などは楽観的に見つめられるようになります。ですからどうか、長期のどっしりとした想い・ビジョンをもって仕事に向かってください。

 少子高齢化や人口動態の変化を受けて、メディアは「縮むニッポン」というフレーズを使い始めました。考えてみれば、大人がこうした悲観を含んだ表現を使うことは、これからを担って立つみなさんには失礼な話であると思います。みなさんはどうかこうした悲観の言葉に飲み込まれないでいただきたい。どうか「縮んでたまるか」という気概をもって、だらしのない大人たちを目覚めさせてください。

 では、みなさんが50歳になったときにまたお会いしましょう。そこでみなさんお一人お一人が「自分が憶えられる何か」が見つかっていますように(祈)。新企画家庭教師を試してみた【村山昇,INSIGHT NOW!】


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